2011年3〜11月の日記
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2011.11.14

すでに帰国して数週間。
帰って来てしまうと、デンマークでの出来事が
すべてなかったことみたいに、どんどん毎日が過ぎていく。
思い出すのは、物や出来事や風景ではなくて人ばかり。
デンマーク人、セルビア人、ルーマニア人…。
あの心の底から湧いて来るような優しさと人懐っこさは、
僕の心に引っかかって取れなくなった。
笑顔と親しみ深い言葉のみをフラッシュバックしていると、
何かに入れ込んだ少年みたいな気分になって来る。
自然と、あの人たちの気持ちに応えるには、
僕はどうすべきなのかといつも考えている。
これが人のあるべき形のひとつかなと想像しながら。

バンドマンとしては、帰国後すでに、
2つのライブとひとつのラジオ番組出演を終えた。
思った以上に体は動くし、なによりデンでの練習の効果が明確に現れている。
恐ろしいね。
もちろんお客さんにわかるほどのものかどうかは知らない。
でも、自分ではこれまでウイークポイントだと思っていた部分が、
全く気にならなくなっている。
演奏が楽しくなって来た。
まだまだ要望に応えられるんじゃないかと僕自身が期待してるわ。


2011.10.9

最近にはめずらしく自然に日記を書こうというモード。
こうやって少しずつ日常を取り戻す。
いや、デンマークが日常をはずれているとかそんな意味じゃなく。

帰国が迫って、かなりの物品をネットを通じて売りに出したが、
売れるものと売れないものにはっきりとわかれる。
いたしかたなし。
最後の手段で今日は近くのギャラリーを使わせてもらって、
ガレージセールを実施。
友人たち、知人たちがけっこう集まり、ウソのようにはけた。
今日が会える最後の日だろうという人もあるから、
単なるガレージセールにはならない。
準備に時間がかかり過ぎて開始が遅れたので、
いっしょに商品を運んでくれたり広げてくれたりした人もいる。
僕はデンマークの人たちが好きだ。
デンマークを好きかどうかは、まだ知らないことだらけだし、
なんとも言えないが、デンマークの人たちは明らかに好きだね。
ここにいることは、反発のないクッションに身をゆだねているようなもの。
こんな場所が世界に存在したということが、
僕にはこの上ない貴重な知識と経験となって、
今後の人生に影響して来るはず。
楽しい。
単純にそう言い切りたい。
そして怒濤の日々が待つ…。


2011.10.4

帰国が近づいて、いろいろ物を売りに出してる。
芝刈り機から、うどんの出汁まで。
こっちの日本人会というのがあって、
そういうところとはこれまで全然関わりなかったのだが、
そこのサイトで告知すれば日本人が見てくれるだろということで、
リンクで僕のページへ飛んでもらう。
とにかく物が増えた。
で、送るには送料が高過ぎる。
送っても日本の家にはおく場所なし。
家電は持って帰っても使えない。
冬用のブーツなんか関西じゃ履く機会ない。
まあ、そんなこんなで片っ端から写真とってるよ。
ちなみにこんな感じ。
送料出してくれるなら日本まででもおくるけど?
http://www.poolcompany.com/sale/


2011.10.3

帰国近し!
忙し!

ライブ告知しました。
まだ他にも予定入るので追ってアップします。
ラジオ番組もあったりなんかして…。

そして日記も月記脱出を試みる。


2011.9.7

ウチの近所のガソリンスタンドでは、
僕の車のガソリンは1リットル12kr.あたりで推移してる。
今、デンマーク・クローネが約15円だから180円ほど。
ちょっと高いね。
でもこれが、日毎はもちろん時間によっても変動するから、
下手な時に入れないように気を遣う。
安いのは朝か夕方以降。
先日は久しぶりに10kr台の表示を見つけて迷わず入れた。
リッターあたり1kr違うと、10リッター入れるだけで150円も違って来る。
30リッター入れたらその差は450円よ。
最低単位が1krと考えると、全ての値段は15円きざみなわけで。
そう考えると恐ろしい。
(実際にはそれ以下の単位もあるが、特殊な使われ方なので…)
物価も違うけど、通貨が違うと感覚も変わるよ。

帰国のときが近づいて来ている。
いろいろあったがイヤな思いはなし。
デンマーク人の寛容さ人懐っこさには驚愕する。
日本人も気持ちに余裕を持たないとね。
ただ、世界一幸せな国だとかなんだとか、そんなものはただのレッテル。
デンマークという国はすでに様々な問題を抱えて、
今と同じ状態をキープ出来なくなっている。
結局、夢の国、楽園、そんなものはただの夢。
僕らは目の前の問題をすこしずつクリアしつつ、
明日は今より前を歩いていることを考えるしかない。
さてさてやること満載。
整理すべきこと山積み。
処分するものをリストアップしなきゃ。
そのうちプツンと切れて動かなくなるかも…。

あ、これって1ヶ月ぶりか!
ヒドいなw


2011.8.8

ここんとこ毎日何か書こうと考えるけど、
どうもTwitterで事足りてしまってる気がする。
日記とTwitterは別物と考えてたけど、
書きたいことを短く言い切ってしまえたら、
日記なんて必要なくなっちゃうというか…。
さらにそれをfacebookにも送信してると、
そっちでも新しいやり取りが発生したりして。
ま、これも面白いコミュニケーションだと思う。
リア充とか言うけど、僕は両方合わせてリア充だと思ってるよ。
天秤にかけるものじゃない。

車のドアミラーに、何度とってもクモの巣がはられるのに、
その主がいっこうに姿を現さないと思っていたら、
ミラーとミラーのカバーの隙間を出入りするところを走行中に目撃。
いい場所みつけたな…。

えーと、発見、発覚、遭遇でもないし、と、
「目撃」という言葉を思い出すのにずいぶん時間がかかってしまった。
ちょうどいい言葉を脳内検索することは日常だが、
あんまり時間がかかるとボケてんじゃなかろかと思うわ。


2011.7.26

書きたいのに文章にならないことがたまって来ている。
書きかけの文章もたまって来ている。
こういう時期というのがたまにあって、
無理に書き進めずに途中でやめる。
結局それが日の目を見ることはほとんどない。

facebookの使い方がなんとなく見えて来た…。
スタートラインに立ったということか。
バルビネのページが静かすぎるのでなんとかしたいが、
なんとかって、そもそもなんだね?
とりあえず、公式サイトにはない写真があるので、
ご興味ある人はどぞ。
「いいね!」をクリックしてもらえるといいかも。
ま、その意味はよくわかっていないが…。

http://on.fb.me/p7kOgU

とにかくメールアドレスが多過ぎるな。
どんどん増えていくのをどうにも出来ない。
どのアドレスを何に使っているのか、
自分でもちゃんと把握出来ていない。
形のないものだから増やすのは簡単だけど、
削除するにはクリアするべき問題を伴うのじゃ。
シンプルに行きたい。
シンプルに生きたい。


2011.7.7

そうだ、今日は七夕。
リンゴスターの誕生日でもある。
日本から子供用の七夕セットみたいなのを送って来たから作ってみたよ。
夜にテラスへ出てみたら、雲が晴れてかすかに天の川が見えた気がした。
冬なら見えまくるんだけど、今は深夜になっても薄明るいしなあ。

デンマークには虫なんかあんまりいないんじゃないかと思ってたら、
全然そんなことはなくて、特に蜂がやたら飛んでる。
次に多いのがハエかな。
蜂と言うとすぐに刺されるとかって逃げ回るのがうちの家族にもいるが、
ほとんどの場合、こっちが何もしなければ害はないからほっときゃいい。
でもハエは不衛生なのでいやだ。
最近日本でもよく売っていた、ラケット型で電気でバチッとやるやつ。
要は虫を電気で焼いちゃうみたいなことだと思うが、
それをこっちのスーパーで買ってみたら意外に大活躍。
手を汚すこともないし、ハエ叩きよりは格段に優れてる。
あのでかい「バチッ!」という音だけは慣れるまできついけどね。

風呂に入りたいなと思う。
今のデンマークのウチには浴槽がない。
少し前にフランスに一週間行った時には、
浴槽のある部屋に泊まったので期待したが、
これは日本人の考える風呂じゃないとすぐに気づいた。
こっちじゃ浴槽だけあってもあとはシャワーだけなので、
結果的にシャワーか蛇口からの湯をためることしか出来ない。
追い炊きが出来ないから、冷めたら終わり。
しかも洗い場もないから、湯をためたって、じゃどこで洗うんよ、
ということになる。
もうひとつ言うと、シャワー室では足が洗えない。
座ることができないから、片足で立ってみたりしてるけど、
こんなこと落ち着いてやってられんもん。
シャワーしかないっていうのは、
座れる場所がなくてずっと立ってるみたいな感じ。
あるいはずっと靴を履いたままみたいな感じ。
わかるかなこのニュアンス?
とにかく休まらない。

練習台で練習を初めて今日で三日目。
なんだろなこの感じ。
とにかく退屈だ。
そう感じるのは、うまくできてない証拠かも知れんがとにかく退屈。
やりながら、イーーーーーーーッとなる。
ただ、腕はいい感じで筋肉痛。
続ければ一定の効果はあると確信してる。
続けばだが…。
しかし日本へ帰れば仕事が待ってる。
ま、面白くなるよ。


2011.7.6

デンマークの夏の日は長い。
というより、言ってしまうとピーク時は夜がない。
悪天で空が雲に覆われていると昼でも暗いが、
晴れていれば、真夜中にはある程度暗くはなるが、
真っ暗にはならずにまた明るくなって来る。
少し前に夏至を迎えて、それが少し引き戻した感じ。
これからまた暗い日に向かっていくのだと思うと、
デンマークの人たちの気持ちも一緒に冷えていくのかも知れない。
ここに文字で書いている分には変化が大きくて面白そう、
というくらいに思えるかも知れないが、
あきらかに自然というか宇宙の原理に翻弄されている。
ただ、デンマークの人たちにはそれを跳ね返す力が備わっていることに、
僕は気づいたよ。
彼らはいつもおだやかで、にこやかで、
知らないもの同士でも気軽に挨拶を交わし、
頼みもしないのに、どうかしたか?と声をかけてくれる。
自国を愛し、何かあるごとに国旗を揚げる。
みんなで同じ国旗を揚げるということは、
また、みんなで皇太子のベビー誕生を祝うということは、
連帯として繋がっているということだ。
良い歴史を作ろうとするでもなく、
ただただ自国民や自国の過去を非難したり卑下したりするばかりの
多くの日本人には見習ってもらいたいことがいっぱいある。

僕はドラムを演奏することでお金をもらうということをしながら、
実はドラムの練習をしたことがなかった。
全く。
これは信じてもらえないことが多いので、
(僕はいつも本心を言ってるのに信じてもらえないことが多い)
あまり大きな声で言うのはやめていたが、
それでも本当だからしょうがない。
信じられない人は、想像力に限界があるのだとあきらめてる。
僕にはこれまで、苦労して勝ち得たものなどひとつもない。
ドラムも長くやってるから、
いつのまにか誤魔化せる程度には出来るようになっただけ。
その程度の人間。
ま、ドラマーになりたいなんて一度たりとも思ったことなかったしね。
しかしそんな僕にも、この一年間のブランクはかなり大きい気がする。
最近はステージの頻度も少なくなって、
体調管理もままならなくなって来ていたところなので、
このまま帰国。即復帰はまずいかも。
すでに帰国の数日後にはステージが決定してしまったし。

というわけで、この期に及んで欲を出した。
この生涯に一度もやったことのない練習を始めることに。
しかし、やったことがないので方法がわからない。
とりあえずネットであれこれ調べて、効率の良さそうな練習法を見つけ、
ドラムショップで練習用パッドとスティックを買って来た。
メトロノームはiPhoneアプリがあるからね。
いやいや辛気くさいし退屈なもんだ。
ほんと、世のドラマーたちはみんなこんなことを一生懸命やってるんだね。
えらいわ。
とりあえず帰国まで続けたら、以前より身体が動くようになるんじゃないかな。
だって練習してるんだもん。
自分で自分を褒めてやりたい、とか言ってみたいもんだ。

僕がいままでなぜ練習をしなかったのか。
そりゃ理由はある。
今となっては、それが正しかったのか、やはり素人考えだったのか、
わかんないけどとにかくそれが僕の信念だった。
でももういいかなと思う。
この年になったから出来る方向転換というのもあるかも。
いや、それほど大きなことではない。
ただ今より良くするにはどうしたらいいかなと考えただけ。
お楽しみはこれからだ、というか、まだまだだ。

と、ここまで書いて、やっぱり続けられなかった、とか言ったらダメだよね。


2011.5.27

今日は障害者たちの展覧会にコペンまで行って来た。
ラウンドタワーという丸いビルの中に、
これはギャラリースペースなのか、本来は違うのか知らないが、
結構広いスペースで、何人もの障害者作家の作品展示。
オープニングパーティだというので覗いてみたら、
ものすごい人で驚いた。
作品が次から次へと売れてるようで、
これが障害を持つ人への同情や支援という意味なら少し寂しい気がしたが、
いや、この作品なら売れても納得。
全体に漂うなんとも言えない充実感と言うか、
奥深さというか、熱さというか、
脇目もふらずに作品に向かう集中力のようなものが、
作品の中にみなぎっていて、ある意味どこにもスキがない。
どこの展覧会でも感じる「抜いた」感じがない。
これはすごいこと。
正直、僕が絵を描き続けられなかった理由はそこにある。
いや、それはそれなんだけど、
そして、「抜く」ことも大事ではあるのだけども、
とにかくこんなに密度の濃い展覧会は久しぶりに観た気がして、
気分が満杯になってしまった。
ああ、すごかった。

コペンは今、あちこち工事しまくってて、
正直、観光客なら「別のときに来れば良かった」となるレベルだと思う。
しかも、こっちの工事と来たら、かなりのんびりしてて、
たぶん日本で同じ工事をするなら何分の一かの期間で済むんじゃないか?
それくらい、先が見えないもののような気がする。
実際に少し前に来たときに、ほとんどが穴になってた広場は、
今日の時点では見た目に何も変わっていなかった。
だから、自分ちの近くで工事が始まると、
うわぁ、いつまでやるんだろ、と思う。
デンマークと日本じゃ、時間の流れ方が違うのだよ。


2011.5.20

最近困るなと思うのが、とにかく日の落ちるのが遅いこと。
夜の9時くらいならまだ明るいからね。
あ、暗くなったな、と気が付いてみたらすでに11時だったり。
だから、時間の感覚がおかしくなるし、
家族も必要以上にやることが遅くなって寝るのも遅い。
朝は同じ時間から動き出さないといけないのによ。
僕のように根っからの夜型はなにか損したような気さえする。
動物も植物もこれでよくやってるもんだ。

植物と言えば、庭の芝生をときどき刈らなきゃいけない。
先日やったときは、力尽きて裏の斜面の部分を残してしまった。
今日見たら、えらい延びてるし、
雑草の王タンポポは異常繁殖して綿毛を恐ろしいほど蓄えていた。
はっきり言ってこっちでタンポポは嫌われ者だ。
こんなののタネを近所にまき散らすわけにいかないので、
とりあえず綿毛だけでも摘み取ることにした。
芝刈りは明日やろうかと思ってたけど、時間的にどうなることか。
そうでなくてもひたすら余裕のない状況。
気が付いてみたら、いつも人のことばかりで忙しく、
自分のことなんかなんにもやってない。
ちょっとここで気張らないとまずいかもだ。


2011.5.18

えー、ある人にお褒めの言葉をいただいたので、
自分で過去の日記を読んでみると、
自分で自分に癒されてしまい、ちょっと驚いた。

前回の日記の内容がこれまたヘビーで、
そのまま止まったままなので、
早めに再開して空気を換えたいが、
今ちょっと時間ないのでこれにて。

See you soon!


2011.4.5

留守の間の教室をお願いしているRちゃんとSkypeで話した。
まあ無理ばっかり押し付けてしまって申し訳ないのだが、
なんとかやってもらっている。
いろいろ問題がないではないが、
それにしても子供達の話をするのがこんなに楽しいとは、
自分でもちょっと以外に思う部分が。
仕事としては大変だが、なにか高揚するものを感じる。
これがあるからやるのだとも感じるね。

自分の中庸をキープするために、
あえていろんな意見の人をフォローしたままにしていたが、
反原発「派」のこの機に乗じたツイートの「言霊」にやられて、
頭痛がしそうなので、何人もリムーブした。
一方的にまくしたてて、誰かを悪者にしたてたり、
ひどいのになると、原発推進派と思われる人をリストアップして、
吊るし上げようとするなど、仮面ライダーか戦隊ものの観過ぎだな。
今この時に声を大きくすることで、
自分が正義の味方だと思い込んでいるようだが、全く冷静さを欠いており、
実際には、五感を閉じ、自分寄りの情報にしか聞く耳を持たず、
そして何より思考が完全に停止してしまっている。
ここにいながら僕には、日本がすでに死んでいるように見える。
少なくとも日本人のど真ん中に大きな断層を発見した。
冷静な人たちもたくさんいるが、その多くは、
勝手に「原発推進派」と決めつけられて罵られている。
問題はそんなところにないはず。

僕の印象では、利害の関わりのない人の中には、
原発を推進すべきという意見はあまりないように見える。
それなら今後は自然となくす方向にいくのかなと長い目で見てそう思う。
でも、現状ここまで来ると、これは原発の問題じゃなくて、
日本人のあるべき姿や生き方を問う問題に、
すでに焦点がシフトして来ているようだ。
あと半年の間に、日本が帰りたくない場所にならないことを願ってる。


2011.4.3

たとえばだけど、
Kが2才の時、二つ目の保育所に通い始めて数日目。
迎えに行ってみると、先生が「おなかを壊しちゃったみたいで…」と。
担任はKを着替えさせ、もうひとりは服を洗ってくれていた。
小さなKは、僕の顔を見るなり駆け寄って泣き出した。
まだ慣れない場所にあって、泣くことすら我慢していた彼の、
このときの様子が、記憶から薄れたことがない。
こういう小さな記憶などというものは、誰にでもあるはずで、
ひとはそれを積み重ねながら育ち、歳を取る。
と言うより、人それ自体が記憶の集積みたいなものかも知れない。
何が言いたいかと言うと、
そういった記憶、そういった人や、そういった場所。
そんなものを一度にざーーっと流して、
全てないものにしてしまうというそんなものが、
この世には存在するのだな、と、
今更ながらあらためて認識して、
でも、それがどういうことなのか未だ理解出来ずにいる。
ただ、変化はいかに悲劇的に見えても、
そこを乗り切った人にはチャンスでもある。
変化が大きいほど、大きいチャンスでもある。
そういうモノの考え方しか出来ないんだけれども。


2011.3.31

で、読み返してみると、
パリもデンマークもロクでもないという感じになってる。
それくらいギャップに驚いたということだな。
とにかくパリは引き締まった緊張感の中に刺激がいっぱいで、
食べ物はおいしいし、建物は古き良きものを引き継いでて趣あるし、
人は思いの外、愛想もよく、
僕としてはあんなに動き回ったのに時間が足りなくて、
行けるものならあらためてゆっくり行きたい。
少なくとも、美術館だけでもね。
デンマークは相変わらず。
変わるわけないけどね。
ここにはもう慣れたけど、やはり美味しいものはないな。
パリから帰るとそれが際立つ。
でも、ここの人の優しさ、気遣いはパリにはない。
良いとこだけつまんで帰りたいもんだ。

何か僕が役に立てることがないかと考えながら、
とりあえず自分のことで精一杯。
甘いね。


2011.3.30

帰宅。
もちろん日本ではなくデンマークの自宅。
パリはすこぶる刺激とストレスに満ちていた。
街の人たちの顔つきは、デンマークの人たちと全く違い、
ぴりぴりした緊張感にこわばっており、
毎日をこの街ですごす強さが必要にさえ思われた。
日本人観光客をずいぶんたくさん見かけたが、
そういったことに気づいているのかはわからない。
僕はデンマークからパリへ行ったので、
そのギャップにかなり驚いたという背景があるから。
デンマーク人の多くはほんとうにゆったり暮らしている。
余裕があるから人に優しくて笑顔が絶えないが、
そのせいか肥満が異常なほどに蔓延している。
パリの人たちにはそんな余裕が感じられない。
だが、それが人を磨くと言えばそうかもしれないし、
デンマークのように暮らしていると、
人がダメになるという向きもあるかも。
それくらいのとてつもないギャップ。
振り返ってみると日本はどっちつかずだ。
さてどこへ行くのか。

地震が津波を呼び、原発が壊れた。
本当に恐ろしいし、近くに住んでいた人たちは、
えらい目に会っているようだが、遠く離れていると、
如実には感じられず、それが楽なような辛いような。
原発については、ないに越したことはないと思う。
少なくともこれほど地震の多い日本にはそぐわないのかも知れない。
ただ、僕には本当のところよくわからない。
今回わかったことは、結局誰も、原発についても、
放射能についてもちゃんとわかっていないということだった。
賛成派の言葉にはどうもオープンなイメージがないし、
反対派の言葉には根拠が見えない部分が多い。
専門家と称する人たちの話がそれぞれ異なっているのはなぜか。
そんな状態で、反対と言われても賛成と言われても、
同意する理由が見えない。
それとものすごくイヤなのは、反対派の人たちの、
例えば、安全なら都心に作れ、というような物言い。
真剣に考えてる人の言うこととは思えない。
とにかく冷静さを欠いてはまともな結論など導けない。
そのためには情報が必要だね。
ただ、人の嫌がることはするな、というのは人としてまずある。
基本だろ。

バルビネのライブCDの在庫が数十枚かあるいは百数十枚。
今後これの売上を全額震災義捐金として送ることにした。
大した額にはならんけどね。
ふさわしい送り先を検討中。
ご協力請う。


2011.3.28

昨日。
ポンピドーセンター前の広場では、
大道芸人などがそれぞれ得意なことをアピールしているが、
その中にひときわ地味に異彩を放つ二人。
どうみてもどこかのとてつもない田舎から出て来た老夫婦。
商品として流通したのか自作なのか、
それすら微妙な同じ弦楽器をひとつずつ、
ぺたりと座って伸ばした足の上に立て、
ただひたすら弾き続けるが、あきらかにアドリブで展開がない。
老女は短い同じパターンをひたすら繰り返し、
老父はそこに少し変化はあるが、
同じフレーズの順列組み合わせをやはり繰り返してかぶせる。
本当に素晴らしいものとの出会いは、
必ず予想外のタイミングで訪れる。
二度とは出会うことがないと思えるこの音楽を、
あわててiPhoneで録音を始めると、
すぐそばでやはり携帯用の録音機器で録る女性に気づいた。
わかる人にはわかる。
僕が本当に求めている音楽というのはこういうものであって、
決して商業になるようなものじゃない。
それにここで出会ったこと。
それが本当に存在したことは、僕には大きい。
今後生きていくための糧というのは、
こういうもののことなのだな。

センターのギャラリーには、多くのピカソ作品が。
ピカソは多作なので、あちこちで出会うことは多いが、
ハズレがないのが特徴というか、
とにかくあれ程の大天才ならではのものを、
いつも見せてくれるので、こちらも得るものが多い。
マチスの作品に、はぁ、これってこんな色だったのか、
などと感じながら、次へ次へと行くと、
敬愛するボナールの作品が4点だけあった。
絵というのは、言葉などで説明が出来ないものを
表現するために描くのだが、
ボナールの作品はまさにその王道。
自らの作品を説明しようと躍起になっている人たちに観て欲しい。
芸術の本質のひとつがここにある。

今日はモンマルトルで面白い人に出会った。
芸術は現実の人の生活とどう関わっていくのか。
そんな問題提起を受けた感じ。
いろいろ刺激はある。


2011.3.26

ルーブル美術館へはじめて行ったが、
これは人類の宝物庫だと思ったよ。
いや、全部観たわけじゃないけど。
ちゅうか、はっきり言って、全部なんて観られない。
ざーーーーーっと飛ばしながらごく一部を観ただけだ。
本気でじっくり観るなら1ヶ月は欲しい。
芸術というのは多くの場合、技術を伴うけど、
その本質はそこにはなくて、結局は意識のようなものだと思ってる。
そんな高度な意識の結晶がひとところに集められていると考えると、
時空が渦を巻いてなにもかも吸い込んでしまいそうな、
へんな妄想にかられる。
ルーブルがあるからパリに住む、というのもありかと。
というより、そんな人が実際にいるんじゃないのか?
そんな僕のパリです。


2011.3.24

パリ滞在二日目。
思ったことがうまく書けないので今日はやめ。
興味深いこと多々あり。


2011.3.21

震災を機に、かなりご無沙汰な友人たちとコンタクトしたりなど、
少し動きがあってそれはそれで面白い。

身近でこんなことが起きて、
でも生きている僕らにはそれを糧に生きていくことが課せられている。
それが定めだと受け止める。
人が死ぬことそれ自体は悲しいこととは思っていない。
ただ、その人の過去や死に際の「もっと生きるはずだった」という
あったはずだと思えることを想像して胸が苦しくなる。
でもその人はそれがどんな形だったとしても、
今生を全うしたということには変わりはない。
あまり悲しんでばかりいると、その人はかえって成仏出来ない、とか、
今生に妙に思いを残してしまうんじゃないかと、そんなことを考える。
悲しむよりは、おつかれさま、とねぎらって、
送り出してやるのが理想じゃないか。
そんなことをいつも思うのだけれど、
もちろん僕も人間だから、全ての感情をコントロール出来るわけはなくて、
亡くなる人との関係などによっては冷静でいられなくなる、
ということを自分でもわかってはいる。
ただ、でも、亡くなった人を思うなら、やはり、
悲しいなどという主観よりはもっと大事にすべきものがあるのかなと。
まとまらんな…。

明後日からフランスです。


2011.3.14

地震の発生を受けて、日本人たちの自問自答が始まった。
やるべきことは何か、というのもあるが、
どう振る舞うべきか、どうしていれば後ろ指さされないか、
というのも感じられてなんとももどかしい。
「不謹慎」という言葉も飛び交う。
これが「規律」と重要として来た人たちの姿。
短所でもあり長所でもある。
事態はかなり深刻ではあるが、情報の中には朗報も含まれる。
天が今、日本にこの機会を与えてくれたのだと理解しよう。
暗い雲を突き抜けて出た時には、
未知の明るい世界が眼前に広がっているのだと想像しよう。

Twitterは情報の宝庫だ。
Twitterを持つか否かによる情報格差が激しくなって来ている。
時間を追うごとにそれがさらに大きくなる。
このような災害時には、それが生命線になることすらあるはず。
ただそれが、使ったことのない人には全く理解出来ない。
説明で伝わるような話でもない。
この期にある被災した人に勧めると、
ネットにはいたずらやウソやチェーンメールなどが氾濫してるし、
自治体のHPならもちろん見てます、と言われた。
この認識の落差はTwitterユーザーにしかわからない。
でも僕はそこでそれ以上に押す言葉を持たなかった。
その人がそれで満足ならそれでいいのかも、とも思う。
だいたい、人に言われて気が乗らないままやっても、
得られるものは限られるということもわかってる。
でもTwitterユーザーの間には当然、この地震を機に、
家族や友人に勧めなきゃ、という意見が出て来ている。
その人を思うならそれが自然だ。
僕は心底Twitterを勧めます。


2011.3.12

昨日、朝起きたらちょうど東北で大地震が起きたところだった。
今日までにいろんなものを見た。
崩れた本棚、割れた道路、倒れた電信柱、燃える街、
押し寄せる波、流される車と住宅、吹き飛ぶ原発、
立ち尽くす人、泣く人、それでも命があればと言うひと。
希望を持って仙台に引っ越したその日に被災して絶望し、
「しにたくない」と最後のツイートを残した人の存在は、
かなりショッキングだった。
妙な興奮でいると、Tの幼稚園の先生が、
あそこはあなたの街からは近いのか?
ファミリーは大丈夫なのか?と心配して訊いてくれた。
この災害のニュースを、デンマークでも知らない人はいない。
それほど大きく報道されているし、感心をもたれている。
胸が苦しくなるような思いを何度もした。
僕はデンマークへ来て日本人が非常に尊敬されていることを知った。
日本人はデンマークのことなんか何も知らないけど、
デンマークの人たちは日本をとても興味をもって見ている。
尊敬を持って日本の車に乗り、日本のカメラで撮影してる。
日本はもっと自信を持たなきゃいけないな。
僕は日本を離れてから、
自分が思っていた以上に日本人であることを誇るべきなのだと、
ほんとに確信した。
日本は試されている。
そして僕自身も試されていると感じる。
多くの国が日本への支援を表明してすでに動き出しているが、
そのことが妙にうれしくてほっとする僕です。

地震の発生を受けて、あらためてやっぱり、
Twitterをやってて本当に良かったと思ってる。
いやそれより、Twitterというものがあって本当に良かった。
そのおかげで助かった人、助かる人がどれほどいるだろうか。
人類はTwitterによって歩みを早めているのかも。
身近な人たちにもっと勧めるのが正解なんだろけど。


2011.3.10

弟が来週来るというのでその準備。
とりあえずウチの車じゃ移動出来ないので、
レンタカーをネットで予約した。
今日電話が。
誰だかわかんない番号なので「Hej」と出ると、
デンマーク語らしき言葉で早口にまくしたてられて、
とりあえずお決まりの「Sorry」と。
英語でしかもゆっくり話して欲しいと言うと、
なーんだ、わかったわかった。
車の予約オーケーだと言う連絡だった。
面と向かえば何とでもなると思えるが、
電話だと言葉のみなのでなかなか緊張感がある。
だって本当にわからないままになってしまったら、
そのあとどうしたら良いのかわからない。
重要な電話だったら困るもの。
こうやってちょっとずつ、おっきくなっていくんだね。
話が終わってこちらが「Tak」と言うと、
向こうも緊張がほぐれた感じで「Tak」と答えた。
打ち解けた気がしてちょっと嬉しかったな。

Hej は Hello、
Tak は Thank you の意。


2011.3.9

洗車するつもりだったのに、雨が降ったらきれいになった。
洗車延期!


2011.3.8

日の出から日没までがずいぶん長くなって、
気温も高くなっているのか、
今日などは上着の前をはだけていても寒さを感じなかった。
ただ今後また急に冷え込んだり、雪が降ったりという、
可能性がないではないし、なにがあってもとは思ってる。
気が付くとウチの車は恐ろしいほどに汚れている。
自分でもちょっと引くくらい。
日本じゃこれほど汚い車を見たことない。
が、デンマークにはたくさん走ってる。
だって、いくら洗ってもすぐに汚れることがわかってるから、
誰も洗おうなんて思わないでしょ。
そんな天候がずっと続いてたのだ。
でもそんな中でもなぜかウチの車は汚い。
ひどい。
とりあえずひどい汚れだけでも落とそうと思って、
ブラシだけ買って来たけど、
はあ、こんなことしてる場合じゃないんだけどな。


2011.3.5

3月になって、ずいぶん明るい時間が長くなった。
融けきらない雪がまだウチの庭にもあるけど、
なんだか雰囲気的にはもう「雪は終わったよ」って感じだ。
そう思うとなんだか名残惜しい。
Kと雪かきをしたのが妙に懐かしまれるというのは、
今の時点ではなんだかおかしい気がするが、
でもあれからずいぶん時間が経ってしまったようで。
結局それくらい雪かきという経験が、
それもKと一緒にやったというより、
家族を阻むものに一緒に立ち向かったとでもいえる体験に、
非常に印象深いものを感じてる。
それはどんな珍しいものを観たり、
立派な人に出会ったりするよりも、
はるかに貴重だと言える経験だった。
Kにはわからんだろうけど。

日本では3才の女の子が殺されたことで、
その両親の不注意を責める動きが一部にあるというけど、
僕のこの雪かきについての思いを理解できる人ならわかるし、
そうでない人なら、何を言い出しても不思議でない。
それくらい人間には明らかなギャップが存在する。
わからない人にはわからないというのが現実なんだな。
残酷だけど。
ある意味、殺人犯より残酷だし、センスに欠ける。
日本人は優しさも感受性も失ったか。

ジョージ・ハリスンの息子のダーニのグループが、
デビューアルバムをリリースした。
Fistful of Mercy。
このユニット名と同名曲の「Fistful of Mercy」がいい。
聴くべし。


2011.3.4

今日はTの幼稚園で行事があった。
園児も先生もみんな仮装してる。
スパイダーマンが何人もいて、
ブロンドの美形の女の子たちは、
白いドレスが恐ろしいほど似合ってて二度見したわ。
Tはシンデレラのドレスを着たよ。
ま、本人が気に入ってるから良いんだけど、
もうちょっと似合う格好があったかな。
天井から、お菓子の入った小ぶりの樽をつるして、
それを細いバットのような棒で順番に思いっきり叩く。
というか、殴る。
ものすごい音がして、Tは怖がって出来なくなっちゃった。
ずいぶん時間がかかって樽が割れて、
お菓子が落ち始めたけど、まだやめない。
結局完璧に樽がバラバラになって、
ぶら下がってるのがヒモだけになるまでつづいた。
先生がゴーサインを出すと、子供達がちらばったお菓子に群がる。
木の破片とかも散らばってるよ。
その後、こんどはパン食い競走みたいに、
ひもでパンを吊るしてそれを手を使わずに食べるという。
日本のパン食い競走は引きちぎったら終わりだけど、
ここではしっかりひもでしばってあるし、パンも堅いから、
ちょっとやそっとで食べられない。
下に落ちても手を使わずに這いつくばって食べ続ける。
なんか、デンマーク人に妙な執念深さを感じたよ。
いや、観せてもらえてよかった。
知ると知らないとじゃ世界観が変わっちゃう。
子供の行事にわずかながら恐怖した。
はは。


2011.3.2

ここにいて日常を構築するという毎日。
自然とデンマークと日本について考えるでもなく意識する、
というより、勝手にいろんな情報が耳に入って来る。
Twitterをやってると、もう新聞もTVもいらない気がして来るよ。
今の時点、僕が考えるのは、
やはりデンマークの「世界一幸福な国」というのは、
観光ポスターのキャッチフレーズみたいなもので、
当たり前だが鵜呑みにしちゃいけない。
「めんそーれ沖縄」
「おいでませ山口へ」みたいなもんでしょ。
古いか。
はは。
僕が思うのは、人はどこへ行くのか、ということだよ。


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