昨夜の淀んだ気象の中、もう十数年も訪ねていない先生のお宅に向けて、
記憶をたどりながら京都の街を車で走ったが、
思った以上に街は変わっていて、でもその中から、
記憶通りのものを見つけるのがなんとなく楽しくて、
たどり着いた先生の家が昔と何も変わっていないことも確認して、
ちょっといい気分になっていた。
その宇多野という場所は、豪邸が立ち並ぶ高級住宅地だが、
古い土地らしく道が極端に狭くて、そこを車で通ったり、
駐車場に入れたりするのがまた少し大変だったりするのだが、
そんなこともなんとなく楽しみながら、
やっぱり何も変わっていないと何度も確認した。
先生の長男が喪主を務め、次男がお経を読む。
先輩や同級生が2〜30人は来ていたか。
僕は以前、一人でここを訪ねたとき、
次男の龍哉さんが楽しみにしていたという珍しい酒を、
先生と二人で飲み干してしまったことを実は今でも気にしている。
お棺をのぞかせてもらうと、
先生は生きているときと何も変わっていなかった。
髪のない頭と長いひげとつるっとした額。
ただ動かないだけだった。
みんなが数珠を持って座っているこの場所は、
学生時代、僕らが朝まで馬鹿騒ぎをして雑魚寝をした、
そんな場所であり、先生は自宅をそういう場所として提供してくれた。
先生だけでなくそのご家族にも大変お世話になったわけだが、
最近はやっぱり疎遠になっていた。
それがこれから、どうしたってさらに縁遠くなるのも避けられないと思う。
記憶のすばらしさが薄れることはないけどね。
僕らはそんな先生に何かお返しが出来たのだろか、とは思う。
実は既にお中元の手続きをしてしまっていて、
このままだと7月初めには先生宛にお菓子が送られてしまうのだ。
こりゃまたどうしたものか。
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