2008年9月の日記
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2008.09.30

考えること自体がストレスだと思っているので、
花粉症については考えないことにしているが、
それにしてもこのところの症状には厳しいものがある。
あらためて思い返すと、これまでこの時期に症状が出たことがあったかも疑問だ。
秋のごく短い一時期に毎年発症していたが、それはもう少し遅かったような。
なのに今年の花粉症は夏の一時期だけ休んで後はずっとついて回られてる感がある。
もう飽きたんですけどね。
ジョークにもなんない。

なんだったか、何かを検索していて「2ちゃんねる」に行き着いた。
正直あんまり興味がなくて見たこともほぼなかったけど、
思いつきでビートルズバンドについて検索してみた。
いやあ、実にくだらないねえ、はは。
書いてあることの95%は価値のない話で虚しくなった。
というか、実際にはあんまり読まなかったけど。

ところでかねてから僕の中にあったもやもやがここにもあった。
それは、コピーバンドというモノ、というよりその言葉。
ここでは「コピーバンド」について議論(とは言い難いが)がなされていたが、
そのほとんどは的外れ、というより、
そもそも論点が定まっていないことにすら気づいてもいない。
「コピーバンド」という誤解を招きやすいネーミング自体が間違ってるのだ。
本当の意味で「コピーバンド」と呼べるバンドは存在しないかもしれないし、
理解の仕方によっては全てがそうであるとも言える。
「コピー」を目指したとしても何をコピーするかはその人の思想や感覚による。
わかる人にはわかるはず。
僕個人はシンプルに「ビートルズの曲を演奏してる」としか言わないよ。
また、プロとアマチュアでは、演奏の内容や技術云々ではなく、
その存在自体がまるで違うから、比較すら出来ないし、
当然、同時に議論の対象になることなどあり得ない。
これは優劣の話じゃなくてね。
やっぱりわからない人にはどうしたってわからないから、
不毛な議論が始まることになる。

僕個人はコピーを追求なんかしていないし、する気もない。
ただ、ビートルズの気持ちの良いニュアンスを伝えようとしてるだけ。
そのことだけに意味がある。
そして、そのためには押さえないといけないツボみたいなものがある。
それだけ。

完全コピーを目指すというのは、やはり趣味の世界の話なんだろう。
出来ても別に嬉しくもないし、いや、それはやっぱりすごいことだな。
所詮は不可能なんだけど。


そうそう、僕にも「ねんきん特別便」というのが来た。
昔勤めていた会社の厚生年金が完全に抜け落ちてる。
役所はろくに仕事をしていない、とは思ってたけど、
犯罪の温床だというところまでは僕にはわからなかった。
日本の国民はもてあそばれてるねえ。



2008.09.25

うまく切り出せなくてどうしようかと思っていた話がある。

単刀直入に。
僕がバンド(トリッパー)を出て、結果的にロンドンタウンをやめることになったのは、
要するにクビになったのは、畑やんの意向じゃない。
というか、畑やんは事後報告を受けただけだ。
僕も事後報告を受けただけ。
それを決めた人ひとりを除いては全員事後報告だったわけ。
ではいったいそんな人が、いや、そもそもそんな特別な権限自体があり得るのかとか、
疑問はあるでしょうけどそのへんはまあ置いといて。
畑やんが僕をクビにしたと思い込んでいる人が少なからずいるようで、
中には「畑やんはタクトさんをクビにしたから嫌い」みたいなこと言う人までいて、
ホントにまずいと思ってた。
こういうことはもっと早くハッキリさせなきゃいけなかったんです。
当時、このことが発表されたとき、店に抗議文を送った人がいるだのなんだのと、
バタバタしてて、やっぱり立つ鳥あとを濁さず、というか、
マイナスの話題が尾を引くといやなので僕としては口を閉じることにしたと。
ただこれ以上は書けない。
今日ここに書いたことに関しては容赦してもらうけどね。
難しい。
マブチくん(マブジョン)は、うまく書いてた。

あと、それに関連して、
当時の日記の内容から、僕がもう長くは続ける意志が、
その時点で既になかったと思っている人もいるみたいだが、
僕は畑やんから、長いスパンで考えてバンドを運営して欲しい、と言われたし、
それにちゃんと応えるつもりで、少なくとも3年先を見てた。
ただあのバンドは最初から大きな問題を抱えていたので正直動きあぐねてたのも事実。
いまだにその解決策は思いつかないし、結局なるようにしかならんしね。

ついでに言うと、ハニビがキャバーンをやめたのは店とのトラブルが原因で、
決めた時点では、ロンドンタウンの話は全く知らなかった。
ハニビはロンタンに移籍した、と思っている人がいるみたいだが、
これも大きな勘違い。
僕らは、やめると決めた直後にオファーをもらった。
すごいタイミングだとみんなで驚いたよ。

とまあ、今日はこんな話で申し訳ない感じ。
忘れてたような話だし、蒸し返すのもいやなんやけど、
書かないわけにいかない。
ちゅうことで。

そういえば、今日歩きながら本を読んでいて、
気がついたら挟んでいたはずの栞がなくなってた。
こんなこと初めてで驚いた。
庭ではなぜか自生する彼岸花が咲いてる。
シー・ユー。



2008.09.21

最近初めて知ったこと。

●「茨木市」は「いばらきし」だと知ってたけど、
 「茨城県」も「いばらきけん」だったらしい。

 これを読んで初めて知った人も多いでしょ、たぶん。
 いや、なんと悲惨な県か。
 茨城県出身者はこういうことよく黙ってられるものだ。
 とあらためて考えたらウチの下の弟は現在茨城県人だった。
 そういえば昔僕が講師をしていた専門学校の某学生は、
 茨木市民のクセに「いばらぎし」だと主張して聞かなかった。
 案外、茨城県民もその口か?

●九州の一部では「8時50分」のことを
 「9時10分前」ではなく「9時前10分」と言うらしい。

 思い返せば学生時代、九州出身(たしか福岡)の同級生が、
 同じことを主張していてみんなに思いきりバカにされていたものだった。
 だってそんなのあり得ないとしか思えない。
 そいつは普段から冗談半分にバカだと言われていたが、
 そのときばかりは本気で「こいつは馬鹿だ」と思ったものだ。
 当時は真剣に聞かなかったが、その主張というのが、
 「9時10分前」と言うとそれは「9時10分の少し前」になってしまう、
 というものだったが、ちょっと意味がわかんないというのが印象。
 だって、そこまで細かいことをなぜそんなに大まかな言い方をするのか。
 ……。
 他の人からすれば同じような部分が僕にもあるのかも知れんけどさ。

●カレーライスに生卵を入れて食べるのは、大阪が発祥らしい。

 僕は神戸の人間だが、昔からそうしていた。
 知らないなら知るべきだと思う。
 ちなみに僕のカレー好きは既にある程度認知されているが、
 僕の標準は「カレーには生卵とラッキョウ」で、
 「ときどき納豆」「意外とみそ汁が合う」
 納豆を入れたカレーの美味さを知らないなんて人生捨てたようなもの。
 言い過ぎか。
 思えば、昔から僕はカレーに醤油をかけてよく驚かれたものだった。
 でも、なんでもかんでも醤油をかけるんじゃないよ。
 カレーライスには「ソースが合うタイプ」と「醤油が合うタイプ」がある。
 覚えといて下さいね。
 あ、キャベツのピクルスも良いね。
 ただ、当たり外れはある。
 こだわり過ぎですか?

これはテレビで観た話だが、中国の奥の奥のかなりの僻地の一部では、
(たぶんインドに近い地方じゃないか)市場で納豆を売っている。
この時点ですでに驚くが、さらに驚くのは、この納豆の食べ方で、
これはカレーに入れて食べるのだと。
しかも、それ以外の食べ方はないという。
ウソのようだがホントの話。



2008.09.19

欲しい本がまだまだいっぱいあるが、読みたい本はそれより多い。
だって、既に購入して欲しい本ではなくなったのに、
未だ読みたい本であり続けているものが棚にも床にもごっちゃりあるのだ。
これらはいつ読むことになるのか、あるいは読むことはないのか。
正直言って、20年前に買って読んでいないものだってある。
とんだ劣等生気分だ。

僕は、読み終わってしまえばあまりその内容を憶えていないが、
そんな中でも、不思議なくらい全く何も憶えていない本というのがいくつもある。
これって僕の頭の問題か、それともその本の問題か。
たしかにその本を今ぱらぱらとめくってみても何も浮かんでこないし、
これはもうこの年でボケてきたのかという恐怖も想像しながら、
でも憶えている本は、なにかしら映像が残っていると気がつく。
もちろん僕の読む本の99%には挿絵などついていないので、
映像というのは僕が勝手に作りだしたものだが、
それって結局自分にとってリアルであったり身近であったり、
それだから自然に頭の中で映像化して記憶されたのだと思う。
逆に考えれば、憶えていない本というのはやっぱり僕にはリアルじゃないのだと。

リアルだということは非常に重要なことで、
これは音楽でも他の分野でも同じだ。
演じ手が描いているものがどれだけはっきりしているかで、
聴き手に伝わるものも変わってくる。
感動なんていうものも、結局リアルさの中に存在するもののようだ。
あー、なんかわからんけど楽しいね。



2008.09.17

近頃、ネコが全く姿を現さないと思っていたが、
庭はネコが通り抜けることも困難なほどに雑草が繁茂していた。
促されて、というよりはほぼ強引にやらされたのだが、
朝から庭の草抜きを……。

ジャングル状態は認識していたが、それにしても大変なこと。
やぶ蚊が多いので長袖の上着を着用、足はゴム長。
蚊取り線香焚きまくり。
ネコの置き土産と思しき「ネコノミ」みたいなのがピョンピョンはねていて、
あんなのに捕まったらえらいことと殺虫剤もまきまくり。
干からびるほど汗をかいた。
そしてある程度作業した時点で限界を超え、タクトさん98%機能停止。

シャワーを浴びて体重測ると、昨日の夜から1.5キロ減っていた。
死ぬわ。

で、草抜きなんかしいたせいか、花粉症が最高調に。
頭が重くてなーんもする気にならん。
ここまでひどい症状はひさしぶり。
妙なきっかけで花粉症を再認識した感じ。
きつい。



2008.09.15

モディリアニを観に行った。
展覧会のタイトルは「モディリアーニ展」だがどうも納得いかない。
やっぱり「モディリアニ」だと思う。
まいいや。
ほんとは最終日になんか行きたくなかったが、
都合がつかなかったんでしょうがない。

これは素晴らしかった。
どれほどビッグネームでも、またどんな名画でも、
作品の数が少ないとそれだけでは展覧会のはならんので、
結局、たいていの展覧会では、空いた壁を埋めるために持ってこられたみたいな、
どうでもいいような作品がごろごろあってストレスになったりするが、
今回は全体のレベルが非常に高くて、
限りある人生の時間を有意義に費やしたという気がした。
大げさなようだが本気だよ。
そのなかにぽつぽつと高い頻度で目を見張るような作品が混じってる。
なんというか、僕はこういう作品を残した才能というか人物が、
過去であってもこの世に存在したというだけで満足で、
それはつまるところ、人間も捨てたもんじゃないという考えに行き着く。
僕にとっては芸術だけが、人類の価値を目に見える形にしてくれる唯一のもので、
それ以外はほぼ取るに足らない。

ただ、同時にそこで開催されてた展覧会はちょっとね。
観た人ならわかると思うけど、
靴の持つ価値や意味はそれを履いた人のなかに存在するもので、
それはこの作品の作者が紡ぎだしたものじゃない。
少なくともそこには僕の求めてるモノはないし、なんだか虚しい。
今はこういうものが多いね。昔からか。
美術館に展示してるから、とか、美術館が認めたから、だからそれは価値がある、
それは素晴らしいのだ、というのはまさしく幻想で、
自分のモノサシをちゃんと確立しておかないと簡単にだまされちゃう。
本当の価値というのは、時代が変わっても世の中が変わっても揺らがないものだ。

それにしても今日が休日だなんて昨日の晩まで知らなかった。
敬老の日らしきことを、わずかながらしたけどね。



2008.09.09

所用で梅田へ出たのでその足で丸ビルへ。
タワーレコードでデニス・ウイルソンを探す。
店に入って2秒でブライアン・ウイルソンのパネルに遭遇。
今ブライアンには興味がないが、それでもこういうとき彼は役に立つ。
だって、彼のパネルの前に並んでいるのが彼の作品および、
その周辺のものだとしたら、弟のデニスの作品だってそこにある可能性は高い。
予想通りその最前列に見つけてレジへ走る。
そこにそれ以外に何が並んでいたかは見てないしひとつも思い出せない。
とにかく手に入れた。
その内容のレポートみたいなのは僕は書かない。
そんなのは苦手だし退屈だ。
少しでも気になった人は聴くべし。
まだ開花しきらない、でも底知れない天賦の才と、
燃え盛るような魂の融合の具現化は、少しへヴィだ。
でも、これに何も感じないという人を僕は信じられない。



2008.09.08

昨日はひさびさにキャバーンで演奏した。
ここはかつて僕の仕事場だったわけで、しかも楽器は閉店したロンタンの遺物たちだ。
リハの途中、楽器にトラブルが発生した間に、ちょっと客席のソファに座ってみると、
自分でも意外なほどにいろんなことを思いだした。
この席で誰とどんな話をしたとか、その横の席には誰が座ってたとか、
誰が初めて来たときには向こうの壁際に座ってたとか、
この後ろの席の人には印象的な言葉をもらったとか、
変に感慨深いとかそんなんでもなく、ただ淡々と思いだした。
記憶をたどり始めるとキリがなくて、本当にいろんなことがあった場所だと気がつく。
なにせ僕のキャバーンの最初の記憶は、20年を超える過去のものだ。

客席は満員で妙な熱気あり。
やはり大勢の前で演奏できることは喜びで、これが次に繋がればと願う。
この日のお客さんのほぼ半数は、僕らを初めて見る人達だったはずだが、
そんな人達が帰り際、興奮気味に、
「すっごく良かったです」とか、
「次は○○○をしてくださいね」などと言葉を残してくれるので、
僕としても良い仕事が出来たのかもとは思えた。
しかしなんであんなに汗が出るんでしょう。
最近かなり水分を意識して摂ってるがそのせいか。
とにかく疲れすぎた。
ステージ終わって楽屋でぐったりしてる間に、
挨拶したかったお客さん達は帰っちゃった。
年齢ですかね。

文芸誌の発売日が過ぎたので本屋へ。
今月は「群像」だけを買うことにして、音楽誌をちょっとのぞいてみると、
某有名誌の裏表紙に故デニス・ウイルソンの廃盤になったソロアルバムが
再編集で再発とあった。
彼にはリリースされたアルバムが1枚と、
リリースを見送られたアルバム1枚分の完成間近だった録音が残っていて、
僕は前者を何年も探し続けて、
やっとある図書館で見つけたものを借りてジャケットまで完璧にコピー制作し、
また、後者はネットオークションでブートレグを見つけて買ったが、
今回発売されたものには、ブートレグにも収録されてないものが多数入っているとか。
はっきり言って僕はこの数年、CDなんて1枚も買ってないが、
これだけは全く迷う余地が無い。
ちょうど本屋の2階がメディアショップなので即上へ行き購入、
と言いたかったが、やはり予想通りない、というより仕入れてくれてない。
たぶん大きな店でないと無理だな。
僕は本でも何でもこういうことが多い。
ま、とにかくこれだけは買わないわけにはいかない。
デニス・ウイルソンは本当に価値のある才能のひとつだと思ってる。


2008.09.03

主に3つか、あるいは4つほどのことで、
体力的にも時間的にも極限が昨日まで続いて、
気づいたらリビングで突っ伏した状態で普通に今日の朝だった。
肩はこってるし腰は痛いし目は開かんし髪は逆立ってる。
鏡を見たら、ヒゲが伸び放題でオットセイみたいだ。
いや、僕はオットセイのことなんか知らずに書いた。
ヒゲのあるのはオットセイじゃなかったか。
そういえば、オットセイとアシカは何が違うのか?
わからん。

全く時間がなかったわりに、本を読んでる。
これはMacに仕事をさせといてその少しの隙間に少しづつ読むのだが、
しかし仕事と言ったって、プリントに時間がかかるとか、
ファイルが大きすぎて開くのに時間がかかるとか、
とにかくそんな程度のことで、難しいことなんかなんもしてない。
今は高橋源一郎の「性交と恋愛にまつわるいくつかの物語」という本だが、
これがケッサクで、しょっちゅう声出して笑いそうになる。
ま、そういう意味のケッサクだが、きっと文学的にもケッサクでしょ、たぶん。
かなり楽しい。

あ、僕の忙しかった理由の一部。
展覧会やってるのでよければどうぞ。
ここの展覧会予定をー。

次の日曜はキャバーンです。
初めて衣装揃えましたよ。



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