2007年6月の日記
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2007.06.25

3日前、宇治「亞侘庵」でライブ。
ああいう小さなスペースでお客さんの息まで感じながらやる演奏には
独特の面白さがある。
バンドもお客さんも少人数で、内輪のパーティみたいだがそうはならない、
その微妙なあたりが楽しみどころだ。
以降僕には予定がない。
あ、正確には不特定のお客さんの前で演奏する予定がないのだが、
「お楽しみはこれからだ」というフレーズはまだ生きている。
またそのうちに。

亞侘庵でのライブ当日の朝、母の妹が亡くなった。
実は通夜の最中に演奏していたのだ。
翌日(一昨日)は朝用事を済ませてから葬儀のため神戸に向かう。
母をなくした従姉妹が二人と妻をなくした叔父。
言葉を見つけられない僕が「大丈夫?」と声をかけると
長女は「ぜーんぜん大丈夫!」と笑った。
なぜかこっちが救われる。
叔母の病気がわかってからこれまでずっと
自分達に出来ることをやりつくし全く悔いなくこの日を迎えたのだと
胸をはる姉妹を僕は尊敬する。
次女の顔には既に亡くなっている祖母の面影が濃く残っていた。
陽気で活発だった叔母の遺影は人柄をそのまま表したような素晴らしい笑顔で、
長く会うことのなかった彼女のイメージが僕のなかでその顔に固定された。
心根の計り知れない叔父は、
僕が中学入学後音楽に入れ込み始めた時に自分の古いギターをくれたその人だった。
あのギターがなければ僕の人生は確実に変わっていたはず。
気さくで楽しい人だった叔父は成長した僕に今や敬語を使うようになった。
やはり叔父が気掛かりではある。

人が亡くなった時に訪れるこの感情は何かと思った。
全てのことに良し悪しはなくて、そう思うのはその人の心の問題だ。
そういうことを言っているのではない。
僕は過去を振り返ったり、懐かしんだりするのが好きじゃない。
それは必ず後ろ向きのイメージを背負って来るからだと思う。
常に現在を生き、未来のために何かを残そうとすることが正しいと、
僕は信じている。
叔母は僕の未来にも何かを残していったはず。
久しぶりに再会した従姉妹たちとも未来を作りたい。

全てを終了した後、僕は両親と箕面の弟夫婦、筑波から来た弟で食事に行った。
母は「妹がこうして家族を会わせてくれた」と言って喜んだ。
「こんなこと滅多にない」と父も言う。
全ては繋がっていて無駄なく必然で動いている。
ここから東へ向かってひたすら行けば、
いつかここへ西から帰ってくるのだ。
そんなことを考えた。



2007.06.20

若い人達が「オール」という言葉を使うことは知ってる。
しかし仕事で夜を明かすのもオールなのかどうか、それは知らない。
どっちにしても流行り言葉を容易に使えるほど僕は従順じゃないがね。

ここしばらくは、いつ寝てるのかよくわかんないが、
寝てないわけではないので少し余裕がある。
息をつく間もいくらかはあるのだが、
一息つくとそれが一息で終わらないのが悪いクセだ。
人間なんて弱いもの。
あ、人間じゃなくて僕でした。

あるときふと思ったが、昔は徹夜することを特に意識なんてしなかった。
いつでも出来たし、次の日に影響することを計算する必要もなかったが、
今は「明日はもうどうなってもいいや」という捨て身の覚悟が要る。
同じことをやってても内容は違うのだ。
ただ、明日がよくても明後日まではどうでもいいとは思っていない。
まだまだ往生際は悪いのだ。
というかまだ死ねない。
はは。

さて、そろそろ「徹夜」というテーマから離れなければいけないな。
22日金曜は宇治の亞侘庵でライブ。
Trio de Chadango にひっついて出る。
コンちゃん(スムウキイ)、コータローさん、シューヘイという、
僕には非常に気楽で楽しく信頼も出来るメンバー。
この先どうなっていくのかはわかんないけど、この日はきっと楽しいよ。
お楽しみはこれからだ、ってなんかあったよな。

あ、返事を書いてないメールが思った以上に多いのに気がついた。
がび〜ん!



2007.06.08

もう金輪際、僕には徹夜なんて無理、と確信したのが昨年あたりだったか。
なのに今、日常的に徹夜してる。
今朝は7時にリビングで目が覚めたがそのとき足は廊下にあった。
昨日は頭の中にある曜日が現実とは完全に一日ずれていることが発覚。
まともな食事は日に1回くらいか。
こんな調子なんでまた体重も減ってるかと思いきや、
昨夜の時点では少し増えていた。
わからん。
で今かなり久しぶりに歩いてる。
先週は歩いてないと思ってたが実は先々週もそうで、
正確には3週間と1日のブランクだとわかると無性に歩きたくなった。
歩く度にちょっとした発見がある。
螢池(という名の池)の岸を歩くと池からでかい鷺が飛び立つ。
オレンジと白の2匹の太った鯉が水面を揺らした。
その先の立派な木の枝では、
キツツキが虫をあさってコツコツと鈍い音を響かせ木の皮を落としていた。
無理のないようにと自分でセーブはしているが、
帰り着いたら倒れ込むのかも知れない。
そんなことを考えながら僕ってなかなか楽しい奴だと思っている。
これを書いていたので本は読まず。
5,000歩と少し。



2007.06.04

ロンドンタウンが閉店した。
昨日は最終日で、周りの人達は顔を出すと言っていたが、
僕はかなり躊躇していた。
だいたいセレモニー的なモノとか、挨拶とか、大げさなことは苦手だし、
行けば変に目立つのも見えてるし、下手するとステージに押し上げられちゃう。
出演バンドはトリッパー(僕がこないだまでいたバンド)だったが、
彼らのステージの邪魔になるのも嫌だった。

昼過ぎにメールが来て、営業終了後打上げをするという。
店潰しといて打上げもないよな、とか思いつつ、
結局行きたいような行きたくないような複雑な気分のまま、
9時半頃店を覗いてみると、すでにリュウジくんや畑やんが、
ひとりずつ交代でステージに上がっていて、
やっぱりもっとゆっくり来ればよかったと思った。
ひとりずつトリッパーのメンバーと入れ替わって、ということだと、
僕が出るときにはメンバーチェンジ前のトリッパーになっちゃう。
イベントとしてはつまんない。

ビール飲んでると、少し遅れてシゲちゃん、コンちゃん、シューヘイが現れた。
なんだか嬉しくなって「ほな次のステージはこのメンバーで」と言うと、
誰かがそれをほんとに申し出たらしくあっさり実現して、最終ステージの途中、
トリッパーを引きずり下ろして僕ら4人がステージをジャックした。
そういえばずいぶん前に彼らと飲みに行ったとき、
冗談めかして「このメンバーでバンド始めるか」と言ったことを思いだしたが、
実現するときってこんなものなのかも。
あれはあながち冗談でもなかったんやけどね。
人としても音楽家としても信頼できて、しかも一緒にいて楽しい、
そんなメンバーで演奏できて、その後の僕は妙に上機嫌だったかも知れない。
4曲演奏したが、たぶん僕の演奏はひどいもんだったと思う。
僕はかなりわがままで融通の利かない不器用な演奏家だから、
他人のセット(ドラムもシンバルもスティックもペダルも椅子も
セッティングもチューニングも)でまともな演奏なんか出来ないし、
アルコールも入ってる上に、スティックは何度も上着の裾に引っ掛かった。
ま、お客さんには暖かく受け入れてもらえたのでいいや。

その後、相当いろんな人達、意外なメンバーまで集まって、
結局朝まで飲んで今日は半日潰れてしまった。
でも、行ってよかった。
僕の中に、ひとつ大きな区切りがついた。
次の区切りはすでに始まってるけどね。



2007.06.02

お腹こわしちゃったよ。
コラーゲンがどうたらとかいう飲料を飲んだのがいけなかったのかも。
慣れないものを口にはしないものだ。
マサイ族の人達はタロ芋だけであの身体を維持してるんやから。
違った?
ま、どうでもいいや。
疲れ過ぎだ。

昨日は、解散後およそ一年ぶりのハニビのライブ。
ロンドンタウンは「再結成」とか書いてたけど、
といったって昨日一日だけのことでもう二度とはない。
このところ寝てるのかどうか、食べてるのかどうかさえ、
自分でもよくわかんない状況でヘロヘロ。
当日のリハーサルが終わった時点で完全に一仕事終えた感じだった。
案の定。
演奏してるときは自分でも気づいてなかったが、録音したものを聴くと、
僕の演奏は明らかに1曲目から腰が据わっていなかった。
最終ステージの後半なんか、もうわけがわかんなかった。
痛恨ちゅうのはこういうのを言うんでしょう。
後の祭りだがね。

で、ある程度予想はしたけど、やっぱりというか、予想をはるかに越えて、
時間は押して押してえらいことになった。
欲張って曲を詰め込みすぎたか。
閉店時間になっても演奏が終わらず、途中で帰る人が現われ始めて、
ああ、これは失敗。
情けない。
無理矢理都合をつけてきた人、はるか遠方から駆けつけた人、
そんな人達がいっぱいいるのに、最後の最後にやっちゃいました。
ごめんなさい。

お客さん達の日記やレポートを観ると、写真が貼り付けてあったりする。
昔の衣装を着た僕らは、なんかふざけてるみたいだった。
似合わない。
なんかのフィルムでヒゲのあるころのビートルズが、
コンサート時代の衣装を着てるアレみたいな感じだった。
ま、例えが良すぎるという部分はお許しいただいて。
だからどちらかというと、初めて4人揃って着たサージェントペパーズの
衣装の方がしっくり来てて不思議だった。

こんな僕らを今まで認めて支えて励まして、そして導いてくれた人達。
皆さんに心底感謝します。
あ、差し入れいただいたので、最後の賄いは断りました。
黄色いお花は今ウチで花瓶にさしてあります。
お菓子は食べました。
メールの返事は必ず書きます。何日かかっても。
みなさん、できれば写真送って下さいね。

さて、なぜこの6月1日があったのかという問いが僕の中にある。
しかも、なぜ僕はこの超多忙絶不調のまっただ中で、
この日を迎えることになったのか。
終わってみると、置き忘れていたものを取り戻した気もするし、
滞っていたものがまた流れ出した気もする。
結局すべてはなるようにしかならないし、なるべくしてなるのだ。
僕はここに置かれて、それはそれで幸せだと感じているから、
たぶん、これでいいのだ。
バカボンのパパは正しい。



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