2007年8月の日記
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2007.08.27

昨日、放出「ザ・ゴールデンパレス大阪」でのライブ終了。
初めて行ったけどやっぱりダンスホールって、
僕らが普段出入りしてるような場所とはかなり違う。
何にせよとにかく綺麗で清潔感があるので気持ち良かった。
明るいしね。
シューヘイがステージで「僕らは夜行性で…」みたいなこと言ったけど、
それはたしかに僕もそうなんやけど、でも僕は暗いとこ苦手。
スパッと明るいのがいい。

お客さんは最終的に110人を越えてたらしい。
だってぎゅうぎゅうやったもんな。
もう少しは客席に余裕が欲しいかな。
あれじゃ料理を採りに行くったって席が遠い人には不利すぎる。

CHADANGOはよかった。
正直準備はギリギリやったけど、結果はよかったね。
録音したものを聴いたけど、その二日前の仕事の録音と合わせて、
両方僕のお気に入りにはなりそうである。
CHADANGOの演奏を初めてきいた人も多かったが、
そんな人達にも評判はかなり良かったと聞いてうれしい。
あ、僕はCHADANGOのメンバーじゃないけどさ。
惜しいのはグランドピアノで聴いてもらえなかったこと。
やっぱりCHADANGOは生のグランドでしょ。
大ホールには、かなり上物のピアノがあると、
あそこのオジサンに聞いたけどね。

で、予定がなくなっちゃったい。



2007.08.25

今日はいろんな人に続けて会ったが、ほぼ全員に、
「身体だいじょうぶですか?」
「忙しそうですね」
と言われた。
どうも、今の僕のイメージは「忙しくて体調悪い」で定着してるらしい。
これはいかんね。
みんな僕の日記を読んでくれてる。
考えたら、体調が悪いことは日記に書くが、
体調がいいときには特にそれにふれることはない。
これではずーっと体調悪いままになってしまうのだ。
ただ時間がないのは本当だ。
なぜか忙しいが忙しいわりにお金は入ってこない。
これも困ったことなのだな。

二日ほど前に洗ったはずのGパンを明日履こうかと思って触ってみると、
「うわ、生乾き…」
さっそく洗い直すことにした。
尻のポケットがゴワつくので見ると、¥3,000出てくる。
おやおやぼくはこの3枚の1,000円札を、
二度目の洗濯に出すところだったのだ。
日本の紙幣は丈夫にできてる。
少ししわが出来た以外には特に記すべきこともない。
いや、そんなことより僕には自分の金を管理する能力すらないか。
はははのは。

晩ご飯は神戸の「鴻華園」
うまいもんはうまい。



2007.08.24

えー、久しぶりに日記を書いたのに、
他のソフトのとばっちりで完全消失した。
あらためて書き直す気力はないので、またにする。
どうせ大したことは書いてない。
今日は久しぶりに人前で演奏した、ちゅう話。
明後日はダンスホールでライブ。
ちょっと面白い演奏をするよ。



2007.08.06

昨日、まだグダグダの身体を引きずって豊中まつりへ。
豊中まつりはちょっとはずせないというか、
この季節とセットになっちゃってるもんで、
どうしても行かないと、やり残した感がとてもいやなのだ。
それにしても暑くて熱くて死ぬかと思う。
帰ったら倒れ込んで起き上がれないんじゃないかと。
しかしビールを2缶飲んだら体調の悪いのを忘れた。
市民会館前をなんとなく歩いてると、
急に目の前でフローレス・デュオが紹介された。
あれっと思うと、弟のヘススと目が合い反射的に手を振ると向こうはピースする。
僕はペルーの民族音楽で生き返る。
なんだろかこれは。
考えてみれば普段はあまり音楽を聴かないし、
特別音楽が好きだとも思えないのに、
毎年ここへ来て彼らの演奏を聴くと「音楽が好きだ」という気持ちになれる。
この
リセット感が不思議だが、自分はこれを求めてここへ来ているという自覚がある。
前世は南米の人だったりして。
んなこたないか。

施設にいる祖母がまた調子が良くないと言って親戚がバタバタしている。
今日は午後から高速道路を約1時間弱とばして神戸へ行くと、
彼女は僕の顔を見て、滲みだすような笑みを見せた。
祖父に言わせると、最近にはないくらいの笑顔だったらしく、
危ないと言われていたのがウソのようだった。
たしかに僕を見る目は輝いていて、明確に脈を打つ生命を感じさせた。
動かない身体のなかにあって、目の玉だけが不思議な生命力にあふれている。
命ってなんやろか。
そんなことも考えてみるけど、
結局そのときそのときに出来ることをやっていくしかない。
僕らはほんとに小さな宇宙のチリみたいなもんだから。
チリはチリなりに目標があるのだが、
それはとてつもなく遠く設定されていて決して到達することはない。
なんと有意義な人生かと思う。
ただちょっと疲れ気味か。
実家では全員に真っ先に僕の心配をされた。
祖父は「おまえは弱っとお」と言う。
「よう心得え」この言葉を何度も聞いて神戸を後にした。



2007.08.04

えー、現在膿出し真最中。
で、結局は次の日、点滴をしてもらう。
時間経過による微妙な回復はあるが、目に明らかな変化はない。
少し動くと疲れてしばらく動けなくなる。
ノドは痛い。
なんなのこれ。

3月末にライブの仕事中心の生活をやめてから、
これまでずっとバタバタで来たが、
こんなこともいい加減ケリをつけないとからだが持たない。
そう思い始めた。
ここらで新しい展開が必要だな。

そうそう、たまにお客さんからメールをもらう。
思いだしてくれてると思うとうれしい。
ただ僕のイメージというのが、お客さんの中で、
やけに良いような解釈で膨れ上がっているようでもある。
ま、僕なんてそんな大したもんじゃないって。



2007.08.02

八ヶ岳行き。
27日早朝に車を出して向こうで3泊。
31日の早朝に帰宅。
いろんな意味で無理を押しての旅行だったが、
僕にとって八ヶ岳行きはかなり大きな意味がある。
5年前までは毎年のように行っていたのに、
ハニービーというバンドで仕事を始めてからは一度も行けてなかった。
3泊というのもキツイ。
向こうへ行ったとなると、必ず顔を出さねばという場所や知人など多数。
ゆっくりする時間などないも同然。
以前は4〜5泊があたりまえだった。

と、そんなわけだかどうだか、帰りの車中で発熱。
以前からためていた疲れが一気に出たか。
帰り着いた瞬間から寝込み、そのままわけがわからなくなった。
いろんなものを視たり聴いたりした記憶はあるが、
それが何かは思い出せないし、もしかしたら全部夢かも。
とにかく問題というのは、たまった膿を出すために発生する。
そういうものだ。
そして八ヶ岳は僕にとってそういう場所でもある。
これって5年分の膿なのか?

しかし、しんどい。
今日は何とか寝床の横にパソコンを置いて休み休み仕事をするが、
こういうときに限って変な集中力を発揮してしまい普段以上に疲れる。
二日ほどほとんど食べていないので、立ち上がるとふらふらする。
そういえば二日で体重は2〜3キロ減っていた。
おそろしや。

ノドが痛くて話せない。
だから電話は拒否してるが、どうしても出なきゃだめかと思って出た
たった一本の電話が墓地の売り込みだった。
まさか死期が近いとかいうわけでもあるまいに。
明日もふらふらするようなら医者で点滴でもしてもらうか。
ご迷惑をおかけしているみなさん、ごめんなさい。

あ、八ヶ岳倶楽部に寄ってみたら、柳生博さんと息子の真吾さんがいて、
「こんにちは!」と向こうから声を掛ける。
彼らの庭作りは素晴らしくて憧れるが、人柄も同様に思える。
そして八ヶ岳倶楽部には一部のスキもなく、
常にお客さんであふれかえっている。
人が集まるところには、必ず理由があるものだ。



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