2009年7月の日記
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2009.7.31

先日、古い仲間とやってるバンドのライブ終了後、
楽器を片付けていると、ボーカルのCの息子のTが話しかけて来た。
極端に寡黙な彼に話しかけられることなどそうはないので嬉しくなり、
でも声が小さくて聴き取れなかったので聞き返すと、
「もごもご」言ったようだがなんだかわからず。
中学生だしあってもおかしくないと思い、
「なんか楽器とかやらへんの?」と訊いたら、
やはり「もごもご」言いながら去っていった。
妙な印象だけを残す。

今日Cに聞いたところ、彼の息子はあの直後からドラムを始めたという。
なんと、そういうことか。
今は借り物のシンセドラムで練習しているとか言うがもったいない。
シンセドラムがもったいないんじゃなくて、
やはり初心者は生のドラムでないと練習にならないだろうから。
やる気のあるうちになんとかしてあげたいがね。
などと、練習を一切しない僕が言うのもどうかと思うが。

そういえばウチの弟の息子(高校生)もドラムを始めたと言ってたが、
その後話を聞かない。
せっかく練習台を進呈したし、続けてくれてるといいが。

そうは言いながら、
当の僕自身はドラマーがいなかったからやらされたみたいなもので、
積極的にドラムをやりたいとかドラマーになりたいなど思ったことなく、
だから練習をしようとか、
ましてドラムでお金をもらおうなんて想像もしないのに、
なぜかこんなことになっている。
ま、練習をしたことないというのは信じない人が多い。
それは自由だが、事実はひとつしかないのよ。
本当は練習をする気にならなかっただけじゃなくて、
練習をしてはいけないと頑なに思っていた。
セオリーに準じた演奏なんてつまんないからね。
ただどちらにしても、小説よりも奇なりとは僕だって思うよ。

さて、新しくなったiPhoneは好調。
イヤホンはさっそく一度洗濯したが、現状問題なし。
しかし、いいかげんにしないといけないな、これは。
ごく最近、iPhone仲間が増えたので情報交換する。
やっぱり仲間がいると楽しいや。
みんなが知ってるあの人ですよ。


2009.7.23

深夜というより早朝に近い時間になんだったか作業しながら、
先日書いた「LP Player」を使ってiPhoneで音楽を再生していたら突然音が止まった。
おかしいと思ってあちこち触ってみたが原因不明。
とにかくスピーカーからは何の音も出なくなっていて、
別の携帯から電話をかけてみても呼び出し音が全く鳴らない。
故障か。
朝さっそくアップルストア心斎橋へ行くと、あっさり交換だと言われた。
部品交換かと思ったら本体丸ごと交換で、
要は半年ほど使ったiPhoneが、全くの新品になると。
2度ほど洗濯してしまったイヤホンも最近切り替えスイッチがバカになってたので、
「これもスイッチが利かなくなっちゃって」と言うと交換することになった。
あるとき無意識に爪で押してしまったボタンに傷がついてたりとか、
いろいろあったし、全く新品になるなんて電池の消耗を考えただけでも得だ。
これにバックアップしているデータを入れると全く同じものとして機能するという。
やはり大事なのはソフトで、ハードは交換が利く。
極端に言えば単なる入れ物に過ぎなかったというわけか。

ウチでOSのバージョンアップとバックアップの復元。
ちょっと手間取ったが、サービスに電話入れながらなんとか無事作業を終えた。
2号機を手にしながら、1号機は今どこにあってどこへ行くんだろ、と考えた。

次の日曜のライブはビートインで、普段やらないリンゴの曲を多数入れる。
誕生日は終わったけどまだ誕生月だからね。
懐かしい曲もある。
それと9月には奈良で篝火コンサート決定。
数年前にハニービーでやったやつね。
前回もかなり良い仕事ができたという思いがあるし、これは僕自身かなり期待。
この日の奈良はほかにもいろいろやってるし、きっと楽しいよ。


2009.7.19

iPhoneのアプリをいろいろ試しているが、
貪欲にあさっていると面白いものがまだまだあることに気が付いた。
今一番楽しめるのは「LP Player」というもので、
iPodに入ってる音源にアナログレコードのようなノイズをかぶせて再生する。
インターフェイスはもちろんレコードプレイヤーになっており、
針をレコードに落とすと再生開始する。
個人的には自分の小遣いで初めて買ったレコード、
ビートルズの日本版セカンドアルバムと同じ選曲を再生するのが旬で、
あくまでシミュレーションとはいえいろいろ思い出すこともあったりするのだ。
ただ、このアルバムはモノラルだったのに、音源はステレオなのでこれが興醒め。
だからイヤホンではなく、
ひとつしかない内蔵スピーカーで再生するのがちょっとチープでいい。
これにレコードを裏返す動作が加われば楽しいが。
というか、A面最後とB面1曲目が続けて再生されたりしたら、やっぱり醒めるでしょ。
とか言いながら、かなりひさしぶりにまともにビートルズを聴いてる。
新鮮。

浦沢直樹の「プルートウ」を読み終えた。
でもかなり斜め読みの感じで意味不明な部分多し。
マンガの斜め読みって変だけどそうなのだ。
近頃マンガを読むのがひどくしんどくなって来た。
絵と文字を同時に読み取るなんてこんなに複雑なことを、
子供の頃には取り憑かれたようにやっていたものだ。
こんなものを描く人はそれこそ超人だと思う。
最近はこの「プルートウ」と「仮面ライダーSpirits」くらいしか、
読まなくなっていたが「プルートウ」が完結してまたひとつ減った。
「仮面ライダー……」はただのノスタルジーかも。
「俺と悪魔のブルーズ」は趣味じゃなかったな。
「できんボーイ」とか「レッツラゴン」みたいな、
めちゃくちゃで、でも地に足がついてる感じのものが読みたいな。
最近のマンガは絵を見た時点で萎えるからね。
高橋のぼるならなんでも好きだけど。

バルビネのCDは発売後2ヶ月経った今もぱらぱらと売れている。
なんともありがたいが、これを聴いてくれた人達が、
重要なことに気づいてくれていればいいな、と思ってる。
多くの人達が未だにハニービーの亡霊を追っていることは僕も知っていて、
それはある意味しょうがないのだけど、
3/4が同じメンバーでもバルビネは全く違うバンドだよ。
コータローさんの「歌うベース」は唯一無二で、
僕もあの絶妙なトーンと自分のドラムの絡まりをさんざん楽しんだし、
特に「Rain」のブレークなんか、あれほどピッタリ来る人もないかと思ってるけど、
でも、まこっちゃんのぐいぐい「引っぱるベース」は、
今のバルビネを本当に引っぱってる。
「I Wanna Be Your Man」のサビからAメロに戻った時の立ち上がりなんか鳥肌もんで、
今までずっと音楽やって来たけど、こういう感じで曲が仕上がったバンドはなかった。
CD未収録だけどキーボードでは「Penny Lane」の間奏の秀逸さといい、
まこっちゃんなしにはあり得ないバルビネです。
あとは、コータローさんのギターね。
やっぱり楽器は歌わないと意味がない、と思わせる。
歌える人の演奏は違う、というのは当然とも言えるけど。
シューヘイは成長を続けていて昔とはレベルの違う演奏をするし、
それに引っぱられてか、僕も当時は出来なかった演奏を披露しているという自負はある。
そんなことが伝わったなら、CDを作った甲斐があったと言えるんやけど、いかが。


2009.7.14

昨日の続き、というか補足。
読みなおしてみたら、宗教者を見下したような印象だし。
と書き出して、いろいろ繰ってみたけどうまく書けない。
結局は利己じゃなくてただの個人という単位と考えればいいのかも。
とにかく宗教を否定するものではない。
ジョージハリスンが「結局最後は宗教しか残らない」
みたいなことを言ってたが、それは僕にも理解は出来る。
信心してしまえば、すべてが宗教ありきになるのは必然かなと。
ただ僕の芸術の観点からいけば、宗教は素通りすることになるというだけ。
たぶん話は終わらないな。

先日は近所の本屋で、山崎ナオコーラと荒井良二が組んだ本を見つけた。
やられた!
なんかわからんけど、やられた!という気分。

大道珠貴の「ミルク」という、
文庫で30ページほどの小説を何日もかかって読んだ。
大道珠貴は面白い。
でも何が面白い?とか訊かれてもわかんない。
知りたきゃ読め、と言っておこうか。
女性作家で読むのはこの人くらいなんだな。


2009.7.13

少し前からずっと「Billie Jean」がアタマで鳴ってる。
ちょっと取り憑かれた感じだな。
それにしてもBillie Jeanて何者?
なにか魔性のようなものに思えてしょうがないが。

最近は役に立たないものに興味がある。
興味がわいたものがたまたま役に立たなかったのではなく、
「役に立たないもの」に魅力がある。
「役に立つもの」ってそれはきっと目的を持ってるし、
テストを受けてるかも知れないし、許可を得ているかも知れない、
そしてもしかしたら常に監視下に置かれているのかも、
でも「役に立たないもの」は常にフリーだ。
何にも束縛されることがない。
他人の意見は風のようなもの。
そんなまったく何の役にも立たないものに僕はなりたい。
そんなことを考える。
現状、僕はほんのわずかに役に立ってしまってる。

呼び鈴が鳴ってインターホンに出ることが出来なかったので、
直接玄関へ出たら、その辺りをよく歩いている宗教団体の人だった。
大して話すこともなくただ1枚だけリーフレットを置いてゆく。
「どうすれば世の終わりを生き残れますか」
メインのコピーは意味不明、というかトンチンカンだ。
多くの宗教は「救われたい」「助かりたい」あるいは、
「恵まれたい」「いい思いをしたい」という、
利己的な意識の人の集まりだと、僕はかねがね思っていた。
そうでないとしても結局そこにゆだねるのが、
自分個人でしかないことは疑いようがない。
でも「この世の終わり」なんていうものがクローズアップされて来たら、
もう小さな人間の利己なんて消し飛ぶ。
人類が滅亡するとしたら、テーマは「人類が存在した意義」
みたいなところへ行かざるを得ない。
かといってその答えは人には出せないし、
小さな個人にとってはどうでもいいことだ。
そうなるともう人間なんてカラッポ。
思考は堂々巡りを続ける。
赤の他人が構築した宗教や哲学に身をゆだねることは、
結局自分の人生を自分で管理出来なくなったともとれる。
それでいい人はそれでいいが、少なくとも現状の僕はそれでは生きられない。
それが存在意義だと思ってる。
話が大きくなりすぎて、まとまらなくなっちゃった。


2009.7.10

ギャラリー島田の島田さんの奥さんが先日亡くなり、
今日は「お別れの会」というのに行って来た。
西宮名塩で仕事の途中に、無理矢理休憩時間を引き延ばし強行。
神戸北野まで車で高速道路を往復した。
ギャラリーはものすごい人でごったがえしていたが、
それどころか付近の駐車場はどこも満車で、さらに来場の人達なのか、
普段は見ないような量の車が付近の道路をひしめき合って、しかもそこへ雨。

最近,身近な人や知ってる有名人などが続けて亡くなってこういう話題ばかりだが、
そんなわけで僕も「人の死」にどう対するのか、ということを考える。
人はだれでも死ぬものだから「死」そのものや、
「死ぬとき」のことを考えても始まらないとは子供の頃、既に結論した。
それに、「死」を「悲しい出来事」ととらえる向きがあるが、それって、
亡くなった人の人生が何らかの意味で満足いくものじゃなかったとすることだから、
どうも受け容れ難い。
今のテーマは「人の死」で、「弔う」とはどういうことなのか、とかね。

島田悦子さんの死は、すごく大きな会によって手厚く受け止められていた。
ただここに記するべきと思うのは、その「大きな」がすべて家族の手作りだということ。
この場所で僕は、ピアニストの演奏や歌手の歌を聴きながら、
そして島田さん一家の大量の写真を観ながら、
さらに、司会者の「故人も喜んでいることでしょう」というコメントを聞きながら、
でも、故人が喜ぶというのは、残った人達の希望なのだろうな、と思い、
亡くなった人は本当にこちらを見ていたり、喜んだりするのだろうかと想像しながら、
でも、そこに飾られているものすべてと、そこで行われていることすべてと、
そこにいる人達や、空気や、その他のすべてが、なぜかものすごく美しく見えて、
そしてその美しさは、家族の深い愛情が作り出したものであると感じて、
気づくと「はあっ」とため息のようなものを出していた。
ため息ではないけど、ため息のようなものだった。

最近つくづく思うのは、努力次第で実現できる目標ではなく、
到達し得ない、あるいは終点のない目標に向かって少しでも少しずつでも近づこうとする、
そういう態度や姿勢が大事だと言うこと。
これを僕は「正義」という言葉に例えて人に話したりしたことが何度かあるが、
「家族の愛情」とはまさしくこのことだと思った。
結局、今日目の当たりにした会がなんともいえず素晴らしかったのは、
飾られた花でも、ピアノでも、写真でもなく、これまで感じたことがないほどに、
深い家族の愛情の存在を胸に押し込まれたことだった。
いくぶん感動し、少しショックで、やはり「はあっ」と言いながら帰ったのだ。

「島田さんの奥さん」と多くの人が認識していた人は、
実はギャラリー島田の社長だった。
その闘病の様子を綴った小冊子をもらったが、
なんだか息苦しくて完読出来ていない。


2009.7.8

昨日は七夕か。
ということはリンゴスターの誕生日で、研ナオコの誕生日でもある。
なんと、リンゴはあと1年で70才!
ますます頑張っていただきたい、などと言うのも、
あまりに月並みで恥ずかしいが……。

KとMがマイケルジャクソンを聴きたいというのでツタヤで借りる。
スリラーの25周年記念リミテッドエディションとかいうのがあって、
DVDまでついてるのでそれにした。
ほんとはスリラーは趣味じゃないが、久しぶりに聴いてみたらこれがなかなか。
「Billie Jean」には本気でしびれた。
かなりいい曲ね。
Kがムーンウォークの真似をするが、
はっきり言ってそれはただの後ろ歩き、いや、後ずさり。
数日前、YouTubeで「Beat It」を見せた後で、
アル・ヤンコビックの「Eat It」を見せると大ウケしていた。

デンマーク人と結婚して今は向こうに在住の先輩U子さんが、
息子のNくんを伴って遊びに来た。
U子さんは美術作家で、デンマークでも日本でもかなり多忙な人。
NくんはKと同い年だが、母国語以外に日本語と英語も出来るし、
面白い絵も描き、個展の経験もある。
Kは以前から仲の良いNくんの訪問を心待ちにしていたので、
学校から走って帰って来た。
ふたり一緒にいると、やかましいのなんの。
しかし、ゲームに没頭したり、ふざけたりしているのを見ながらも、
このふたりの才能が合わさると、かなり面白いのかも、
などとと違う方向へ興味がわく僕でした。
最後は寿司屋で馬鹿騒ぎ。
面白かったけど、仕事は後回し。
えらいこってす。


2009.7.2

日曜日、フェアリーでのイベント終了。
この日の動員が店の最高記録だと僕は知ってる。
だって、先日まで僕が別でやってるバンドが記録保持者だったのだ。
ワタクシ、フェアリーにとってはさしずめ記録男だよ。

ライブの内容はとにかく楽しかったのだから言うことはない。
基本的に自分の気分でその日の出来を測る。
これが一番間違いないのだ。
お客さんの満足感がステージまで押し寄せてくると、
こちらの演奏からも、ただの演奏にない力が発信される。
1足す1が2以上になる瞬間、人は人以上のものになるような気がする。
というより、本来の力を取り戻すのか。
とにかく人ってどこまで行っても計り知れないと思う。

ただ、現実的に最も大事なのはじつはPAで、
バンドなんてPA次第、PAがバンドとお客さんを取り持ってくれる。
お客さんたちはバンドを観ながら、じつはPAさんの作った音を聴いてるのだよ。
だから本当はPAスタッフに最も大きな拍手を贈らねばいけないのだ。

終了後、スタッフと食事に行った。
あんなに美味いビールはないね。

ヤフーのアドレスを変更した。
誰にも知らせず、オークションくらいにしか使ってないアドレスなんで、
こういうことが出来るわけだが、これで迷惑メールが大幅に減った。
あとは、最も古くから使ってるソネットのアドレスだが、
ここにはまだときどき重要なメールが来たりするから削除出来ない。
ほとんど死にかけてるのにね。
なんとかしたいわ。

そうそう、辻井伸行やったけか?
盲目のピアニスト。
僕はクラシックをほぼ聴かないけど、
それは今まで聴いたものに魅了を感じなかったからで、
なにか偏見があるわけでもなんでもない。
音楽の時間はいつも退屈だった。
ただ、あの人の演奏は今までに聴いたものとはどこかが根本から違う。
僕には人間じゃないものが奏でてるように思えてならない。
なんなのかわからん。
でもとにかくすごいわ。


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